震災からわずか2年、解除前の楢葉での営業再開。
かつてのにぎわいを取り戻すための挑戦を支えた、
「笑顔の輪を広げたい」という思いの根底とは?

1 昭和36年、竜田駅前に
精肉店がオープン

1961年(昭和36年)の12月、竜田駅前に小さな精肉店「ネモト」がオープンしました。開いたのは楢葉町の根本さん(先代の社長)。根本家には同じ12月に長男(現在の社長)が誕生。その数年後には長女も誕生。小さい子どもを育てながら、お肉の買い付に仕込みにと朝早くから夜遅くまで働く夫婦の姿がそこにはありました。今でも、「学校帰りに食べたハムカツが美味しかったな〜!」と言ってくださるお客様もいて、その度に地域のお客様に支えられて今日があるんだと、実感するそうです。

2 楢葉の美味しい空気と水で
育てる牧場を営む

1970年頃から、先代の根本社長は楢葉の山側に牧場もはじめました。楢葉の美味しい水と空気に満ちた広々とした牧場は、牛にとっても良い環境でした。ここで育った牛は等級も高く、評判が良い牛肉として、東京の市場で高値で取引されていました。

3 精肉店はスーパーとして
ブイチェーンネモトに

一方、精肉店として始まったお店も、地元のニーズを受け取り扱う品が増えてゆき、ブイチェーン、そしてCGCに加盟し、スーパーマーケットの形態となり、地域の皆様に支えられ、従業員に支えられ、ネモト店(本店)とマミーズ店の2店舗を展開していきました。

4 2011年、東日本大震災と
原発事故が発生

震災直後の店内の様子

2011年3月11日2時46分東日本大震災が発生。楢葉町の沿岸部は津波により大きな被害を受け、さらにその後、東京電力福島第一発電所で事故が発生。翌12日、楢葉町は全町避難を余儀なくされました。数日で戻れると思っていた避難は見通しの立たない状況となり、牧場の牛たち、飼い犬や猫など、残された動物たちは町外に避難させることは出来なくなりました。また、震災当日は金曜日。土日の特売の商品がお店の冷蔵庫には大量に入っていました。

震災後、大量の生鮮品を処分することに

「お店の商品をどうにかしなければ。牛たちを何とかしなければ」
栃木へと避難をした根本社長はいてもたってもいられず、誰もいなくなった楢葉町へと車を走らせました。ガランとした楢葉町は異様で、現実とは思えない世界だったそうです。お店に行き冷蔵庫の中の食材を片っ端からゴミ袋に詰め、その袋を車に積み、お店と楢葉町内にある自宅敷地を往復し、自宅の庭に山積みして捨てました。食料・命を大量に捨てるような行為をしなければならないことに、涙が滲みました。

震災後の牛舎では、牛たちがお腹を空かせていた

一方で牧場の牛たちはお腹を空かせていました。社長は毎日のように栃木と楢葉町を往復し、牛たちの元へと通いました。楢葉町が警戒区域に設定され、一般の人が入りにくい状況となっても、社長は可能な限りの手を尽くして、国道6号に設置されたゲートをくぐり牛舎へと通い続けたのです。

弱っていく牛たちを何とかして生きながらえさせようと、ある日根本社長は牧場の扉を開きました。牛たちは凄まじい勢いで木々が茂る方へと走り出したそうです。牛たちは昼間は近隣の山や小川で水や草を食べ、夕方になると帰ってきて牛舎で過ごし眠っていました。その後、政府から福島第1原発から半径20キロ圏に残された家畜の殺処分の通告がありましたが、命長らえて牛舎で生活している牛たちを何とか助けたいと悩んでいた時、先代の友人が区域内で牛たちを引き受けてくれることになりました。

ネモトの牛たちは幸いにして生きる道を歩むことができましたが、多くの牛舎では牛たちは飢え、柵の外に出ても事故に遭ったり足を滑らせるなどし、また殺処分によって、その命を落としていきました。無人の街を闊歩する牛の姿。死んでしまった牛の埋葬。誰もいなくなってしまった町で絶望的な光景に身を置きながら、社長は「いつかまたこの町に戻り店を開こう」と思ったのだそうです。

5 事故収束の作業員や
避難先の人々の支えに

広野町ドライブイン内仮設店舗

この混乱の中で、スーパーを必要としている人たちが多々いることもわかってきました。要望を受ける形で2011年の5月には、原発事故の収束に向かう作業の人たちのために、広野町ドライブインの一角を借りて1坪の売店を開業(2012年6月閉店)しました。

いわき仮設住宅の敷地内に作られた仮設店舗

2011年8月には、原発の事故収束に向かう作業員の方々のために、Jヴィレッジ内に原発作業専用の売店を開業(2016年7月閉店)。12月には、いわきに避難をしている楢葉町民の生活を支える仮店舗として、いわき市上荒川の楢葉町仮設住宅内に売店を開店(2015年6月閉店)

2012年12月には、天神岬作業員宿舎内に売店を開店(2014年3月閉店)。
2013年5月には、楢葉町本店の店舗を一部再開(2014年8月閉店)。
2014年7月 楢葉町役場の駐車場を借りて開業(2018年5月閉店)。

全てが暗中模索な中での一歩一歩でした。社長は何度も自問自答を繰り返し、その都度悩みは尽きませんでした。それでも、相談を受けるたび、社長も社員も一丸となって人々の支えとなるべく奮闘し続けたのです。

2013年5月10日本店再開

そして、2015年。9月5日に全ての避難指示が解除されることになりました。一時誰もいなくなった町の、ゼロというよりもマイナスからの出発。町がどうなっていくのか、どれだけ町民が戻るのかも未知な状況。再び町が動き出す嬉しさはあるものの、お店としてやっていけるのか?従業員は集まるのか? 期待よりも不安の方がはるかに大きいものでした。それでも社長は思いました。

「ここまで支えてくれた楢葉の住民の皆様の生活に、少しでもお役に立ちたい。もう一度楢葉に根を張って仕事をしよう」

6 ふたたび賑わいが
戻ることを祈って

2018年、笑ふるタウンここなら笑店街の一角で再開

2018年6月 国、県、そして町のご支援を得て、笑ふるタウンここなら笑店街の一角に「ブイチェーンネモト」の看板が上がりました。楢葉町で店舗を構えての再オープン。その事務所には、経営理念である言葉が掲げられています。

「人が輝き 地域のお客様の役に立ち 喜ばれ 笑顔の輪を広げる」

その理念通り、ネモトに足を踏み入れれば、そこにあるのもスタッフたちの明るい笑顔。一人ひとりが、困難な状況を乗り越えてきた。どんな状況でも地域や人々を支えるために奔走してきたネモト。だからこそ、あたたかい場所でありたい。

スーパーには地元楢葉でとれた新鮮で美味しい野菜が並び、毎日市場から仕入れてくる魚は美味しいと大評判。社長が太鼓判を押す福島の美味しいお肉と、創業当時から続くメンチカツも健在です。店舗の厨房では、社長自らが研究し絶品料理を生み出し「しげちゃんシリーズ」として国産健育美味豚(会津産)の肩ロースを2時間半煮込んで作るチャーシューや、和牛のタタキ、ロースターでじっくり焼いたローストチキンなども大人気。地酒や地ビール、お漬物など、地域の味も楽しめます。

社長と店長。親子で照れながらも息はぴったり。
地域の活力となるべく、今日も頑張っています。

現在3代目が店長となり、新しい世代の風も入りつつあります。活気を増してゆく楢葉の町で、ネモトは日々、人々の生活の基盤となり、笑顔の輪を広げています。

(取材・文 藤城 光)

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